続く毎日

2004年8月10日
夕方にまた松川さんに呼び止められる。
またいつものようにお小言だ。
キツイ関西訛りの口調で責め立てられる。
この時期になっても引継ぎをしないところを見ると
やはり私の聞き違いだったんだろうか。

いつからか私は
携帯のスケジュールに一言日記をつけ始めていた。
理不尽な怒りをぶつけられるたび
その度にトイレに駆け込み証拠を残していた。
いつか私が辞めなければいけない時がきたら
彼女に仕返しをする為に。

つまらない女だ、私は。
つけ始めて3ヶ月。
出勤日には全てマークがついていた。

予兆

2004年8月9日
いつものようにバタバタした一日が始まる。
私だけはいつものように松川さんの視線に怯えながらの
一日の始まりだ。

いつもは呼んでも来ない部長が
コピーを取りに来ていたその時
何故かほとんどの人がどこかしらに出かけていた。

残されていたのは私と松川さんだけ。

私が立ち上がり、書類を届けに走りだした瞬間、
松川さんも席を立つ。

「また・・・なの?」

私の思いとはウラハラに、松川さんは書類の整理を始めた。

今日も何か企んでるに違いない。
朝から不快な気持ちで階段を駆け上がった。

フロアに戻るとまだ誰も戻っていない様子で。
松川さんと部長が何か話している。
コピー機の音がうるさく、よく聞こえなかったが
「急ですが・・・はい。・・・えぇ 止めても聞かなくて・・」
と 松川さんが話している。

辞めるのかもしれない、そう思った瞬間に
笑いがこみ上げてきた。

でも違うかもしれない、はっきりするまでこの話は
聞こえなかったことにしておこう。

繰り返される日常

2004年8月8日
ここ2、3日の長距離運転の疲れも癒されないままに
私はいそいそと出勤準備を始める。

これからはひとりでやっていかなければ。
多少の疲れで仕事を休むわけにはいかない。

モタモタと支度をする旦那を後に
私は駅へと急いだ。
時間までまだ少し余裕がある。
駅のコーヒーショップでモーニングを食べながら
急ぎ足で駅へ向かう人たちを眺める。

やりがいのある仕事に就き
楽しく毎日仕事をしている人は
この中にどれくらいいるのだろう。

答えなんてみつかるはずもなく
残りのパンを押し込んで電車に乗った。

迷宮入り

2004年8月7日
結局何の解決にもならなかった。
時間、費用いろんな算段が頭の中をかけめぐる。

会社を休んでまではるばるここまで来た意味。

私もはっきり返事をしなかったが
これからの旦那の出方を見るつもりで
「これから一回でも休むようなことがあれば離婚します」
とだけ言い残して振り切るように旦那の実家を後にした。

帰りの車中の重苦しい空気。
まとわりつくような陰湿な視線に気がつかない振りをして
アクセルをふかした。

もうこの街に来る事はないだろう。

平野の果てに

2004年8月6日
旦那の実家には何度か足を運んだことがある。
冠婚葬祭と帰省くらいとはいえ
それなりの思い出は残っている。

どこまでも続く広い空、
広い平野、かすむ山並み。
高速道路かと見まごう程の広いバイパスは
長距離運転の最後のしめにうってつけで。

川沿いの道を曲がり見慣れた風景の角にある
小さな空きスペースに車を停め、
ろくな挨拶もしないままズカズカと上がりこんだ。

「今日わざわざ来たのはですね・・・・」

旦那の仕事に対する意識と私が横から感じる意識のズレ。
私への配慮のなさ、暴言。

話しているうちに情けなくなってきた。
旦那もずっとうつむいたまま、固く手を握っている。
話相手のはずの父親も以前の病気の後遺症をかかえ
言葉が思うようにでないのだ。

あたしは 一体 何がしたかったんだろう。

こんなにこの人達を苦しめているのは
あたしなのかも、知れない。

移動距離1000km

2004年8月5日
私が住んでいる横浜から
私の実家まで400km。そこから旦那の実家まで300km。
長い移動の始まり。

すっかり怯えた旦那は運転すらままならず
私が運転することに。実家に着き話をすると
「これからの俺を見てください!最後のチャンスを下さい!」と
哀願する旦那を見て
私も母もあきれていた。

結婚してから何年間もこうしてだまされてきた。
何度も同じ話を繰り返す私に、母も聞く耳を持たなくなってきていた。
旦那の実家にも今の現状を知らせるべく
怒りだけに突き動かされて
私はまた車に乗り込んだ。

戦いの始まり

2004年8月4日
仕事にだけ打ち込める環境を作っていたはずの家庭で
また旦那が仕事を休みがちになっていった。

「どうして行かないの?」と問い詰める私に
旦那は体調の悪さを訴え始めた。

数ヶ月前から家事を放棄していた私に
旦那はそのせいで追い詰められ、
帰ってからの食事や家の空気の重さを思うと
仕事すら手につかない状態だと訴える。

また、私のせい・・・なの?

半狂乱になった私は
旦那を連れて私と旦那の実家を回ることを決意した。

もう許せない。

休息を求めて

2004年8月3日
私が彼に逢いに行くのは、安らぎや安心を求めてなのかも。
彼と同じ部屋にいると、なんだかふんわりとしてきて
私は日常を忘れて深い眠りに落ちていく。

「眠りにきたのか?」と笑う彼の声も笑顔も
私にとっては安定剤。
前みたいに感情を表に出さない、こんな関係もいいのかも。
どんな形になっても私は彼を必要としているし
たくさんの人の中から彼だけを見つけることもできるから。

激しい恋にも憧れるけど
今だけは安らぎを求めていてもいいよね・・・?

あさいねむり

2004年8月2日
連日松川さんから何かしら嫌がらせを受け続け、
上司に転属を申し出る。
もちろん却下、それよりも何が原因なのかを問い詰められる。
クセがあると評判の私の上司は
何故か私にとても好意的。
それは回りの人にも見て取れているようだった。

松川さんは私にとってとても異質で
就業中でも平気で携帯の着信を鳴らす人だ。
電話に出ることはもちろん、メール、発信まで。
しかも話の内容は
「今日のご飯はお魚だから。オ・サ・カ・ナ」などと
平気で話す人だ。

彼女の携帯の着メロはきらきら星のオルゴール。
私の家の炊飯器の確認音と同じだ。

炊飯器の音に飛び起き、
新聞屋さんの配達に飛び起き、
私はどんどん追い詰められていった。

机の下

2004年8月1日
みんなに気づかれないように
意地悪が始まった。

私への最終の仕事は4時半。
残業は許されない。
部長に呼ばれ
「何か用事でもあるのか?いつまでも新人じゃないんだぞ。」と
非協力的な部分を責められる。

松川さんの指示の元仕上げた仕事が
不適切だったらしくまた上司に呼ばれ叱られる。
大きな声で言われるので当然みんな聞こえているはずなのに
当の松川さんは知らないフリ。
私が告げ口しないのをいいことに
社外秘の書類を隠したり、私が帰ったあとにバラバラにしたり。

毎日心底疲れ果て、帰宅。
家に戻れば旦那が待っている。
冷凍食品をアレンジして食卓に出すと
「はぁ?こんなの食えるかよ。冷凍だろ?この手抜きが」

休まる時間はなかった。

始まりの序章

2004年7月30日
5時に受け取った財務諸表。
今までとは違う書式に少し戸惑う。
あと30分で仕上げなければならないのに
どこを打っても合わないのだ。

松川さんに聞けばよかったのだが
殺気立っているので宮下さんに聞く。
宮下さんは専門外の仕事なのだが
丁寧に教えてくれていた。

すると遠くから怒鳴り声が聞こえた。
「それは私に聞くべきでは?!」と。

松川さんに恐る恐る尋ねると
むしりとるように書類を取られてしまった。
入力ができない旨を担当に伝えなければいけないのだが
「私が説明しますから!もう帰って下さい!」と
キツイ口調で言われてしまった。

職場の空気が歪む。
みんな私達の関係に気がついてしまったようだった。

操作

2004年7月20日
バタバタとみんなが走り回っているそのフロアで
私は何も出来ずに与えられた仕事をこなすだけ。
なのにそれすら思うように出来ない。

一日何度も上司に呼ばれ、
何度も何度も叱られる。

わからないことが悔しくて
出来ないことが悔しくて
必死になって覚えようとしていた。

そんなある日部長からの通達が出て
残業してでもこの書類を締め切りまでにあげるように、
との指示が出た。
上司に呼ばれ、「あなたも大丈夫よね?」と念を押され
「はい、やらせて下さい」とお願いした。

席に戻ると松川さんがやってきて耳打ちした。
「あなたは残業なんてしちゃダメなのよ?わかってるわよね。」と。
残業なんて出来ないように
その日から松川さんの手による操作が行われ始めた。

女、おんな、オンナ

2004年7月14日
慣れない環境の中のミスの許されない仕事。
間違いは即座にクレームに代わり、解約につながる。
全ての書類が社外秘で、ルーズな扱いは厳禁。
こんな緊迫した仕事は初めてだった。

私が配属されたのは
幸か不幸か少しだけ経験のある内容で
モノを書いたり、頭を使う仕事が好きだった私には
自分で言うのもなんだが適職だったように思える。

入ったばかりの私にみんな優しくしてくれていたし
特殊な業務も親切に教えてくれていた。
指導係の松川さんもとても優しくて
私は小さな頃から先生運に恵まれていたことを思い出す。

小さく咳をすれば「大丈夫?風邪?帰って休んだら?」と
優しく気遣ってくれる。
それほどでもなかったけど、何度もそう言われるので
いづらくなって早退。
次の日出勤すれば「休んでもよかったのよ?」と言われ
「残業なんてしなくていいのよ?あとは私がやるから」と
とても大切にしてくれている。

全部厚意だと思っていた。
あの日、あのことがあるまでは。

不安定

2004年7月6日
仕事がうまくいかない。
仕事、と言っても人間関係。

比率でいけば男性の占める割合が多い会社。
その中でも異質な女ばかりのチームの中で
小さな小競り合いが続いている。

休まるはずの休日が
解放されるはずの休日が
あと何回送れるんだろう。

彼に逢いに行きそのことを伝えた。
しばらくは週末一緒にいられないこと、
一時帰宅が許されたということは
退院が視野に入っていること、
ためいき交じりにぽつぽつと話した。

「さみしい?」と聞く私に
「大丈夫だよ」としか答えない彼。

バランスが取れていることは
いいことなんだろうか。
平日も休日も関係なく彼の元へ行き
食べたいものを食べたい時に食べ
眠い時に寝たいだけ眠る自由な私に
すこしずつ飽きてきはじめた頃、
旦那が週末帰宅することに決まった。

また あんな毎日に戻るのだろうか。

前のように笑えるのだろうか・・・・。

もう着替えを持ってあの異空間に行くことはない。

それだけがうれしかった。

異空間

2004年6月23日
毎日病院へ行くわけにはいかない。
職場から病院までは交通の便が非常に悪い。
そして病院から自宅までも。

自宅へ戻ってから病院へ行くとなると
面会時間に間に合わない。
なので週に2回だけ私は大荷物を持って会社へ行く。

旦那のことは考えなくていいと思っていた別居生活の始まり、
そう思っていたのに
実は洗濯をし、食事を考え、雑誌や小説に気を配り
一緒に暮らしていた頃より旦那のことをしなければいけない時間が
私の生活を侵食し始めていた。

食事の好みが徐々に変わっていく旦那を見ながら
私は会社でもらっためずらしいお菓子を
病院のお土産にするのが決まりになってきていた。

病院に行けば
また異質なあの空気に包まれる。

段々、病院から足が遠のいていった。

招かれざる客

2004年6月14日
あんなに望んでいた別居。
厳密に言えばこれは別居には入らないのかもしれない。

もてあましてしまった時間を
どう過ごそうか思慮する前に
自宅の電話が鳴った。

「もしもし・・・?」
と電話の向こうの記憶にある声。
関西なまりのあるその声に
まだ現実に戻れない私を感じていた。

私は少し前まで、旦那と同じ会社でバイトをしていた。
その時からその人は私に何かと失礼なことばかり言う人で
印象はあまり良くない。
旦那と同期入社という事でたまに言葉を交わす程度の人だったが
何故私にばかりキツくあたるのかがわからなかった。

遠まわしに聞こえてきたが
その理由はバカバカしい、の一言に尽きる。
夫婦は同じ職場で働くことは出来ないが、
幸いにも私と旦那は配置場所、仕事の内容が違う。
その人も自分の奥さんを社内に置こうと算段したわけだが
上記の理由で断られたのだそう。

八つ当たり、だったってこと。

何の用事だろう・・?と思いながら
相手の出方を窺っていると
「調子悪いみたいだね?名簿見たら役職取れてるじゃん。
それに入院するんだって?」とまくし立てる。

だったら どうだって言うのよ。

「あの・・・疲れているので失礼させて頂いてもよろしいですか?」
と、その人の質問には何一つ答えず受話器を置いた。

入院の日

2004年6月11日
個室に通され細かい説明を受ける。
それと同時に現在の心の状態の簡単なテストが混じっている。

病室にはテレビがないこと、
たとえ病院内でも付き添いがいないと外出できないこと、
思いのほか制約が多かった。

足りないものをメモし、
しばらくできなくなるであろう売店での買い物を一緒にし、
今の自分の心理状態ではこの空間に長くいてはいけないと
心のどこかで警鐘が鳴っていた。

病棟に旦那を残し、
私は自宅へ向かった。

もう こんなところに いたくない。

薄い扉

2004年6月10日
旦那が思い描いていた入院設備とは全く異なった異空間。
私が思い描いていた病棟風景には到底及びもしない柔らかな空気。

薄い自動ドアから一歩踏み込むと
そこだけゆっくりと時間が流れていることが見て取れる。
うつろな目をしてただぐるぐる回っている女性、
異常なほどの笑顔の坊主頭の男性。

正直言って怖かった。

ただほっとしたのは
身体を縛るような拘束具がみえなかったこと。
よじ登らなければ開けられないようになっている少し高い位置の窓に
格子のようなものがなかったこと。

まるで自分がこれから入る場所のように
くまなく見定めてる自分が少し可笑しかった。

入院

2004年6月9日
入院加療の話を結果的に蹴った直後。
もちろんすぐになんて入院できない。

旦那は怒っていた。
「何で!何でよ!いつでも来なさいって言われてます!」と。
私はそれを横目で見ながら
「常識でしょ・・・」とひどく冷静だった。
再度診察を受け、入院の意思を確認される。

少し距離が必要だと常々思っていた私は
ふたつ返事で入院の書類を受け取った。
心配なのは旦那のその後。
もしこれで一人で生きて行くことができないと診断されてしまったら
私は一生この人といなければならない。
入院までは刺激しないように過ごさなければ。

旦那も少し気分が晴れたようで
心なしか表情もにこやかだった。

もう少し、あと少し。

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